ペギーとビリーの6週間の新婚生活!ノルマンディーに旅立ったビリーの運命は?

第二次世界大戦中の米国。

空軍基地で働くペギーと空軍の
中尉だったビリーは数ヶ月の交際の後、
フロリダ州で結婚式を挙げました。

ペギー18歳、ビリー21歳。

結婚指輪を買えない若い二人は
高校の卒業記念リングを結婚指輪として
代用したのだそうです。

じつに初々しいエピソードですね。

2週間の休暇を取って新婚旅行に行く
予定でしたが、戦況の変化により短縮。

1943年10月、ビリーの部隊はフロリダ州
タラハシーに連れて行かれ、妻たちも
またそこの大きなホテルに連れ出され
ました。

出征前に家族と過ごす時間を
与えられていたわけですね。

そうしてビリーたちの部隊は出発し、
ペギーたちも家に帰されました。

それがビリーの最後の姿になろうとは
ペギーはこのとき思いもしません
でした。




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錯綜した情報

1944年6月6日、連合軍がドーバー海峡を
渡ってフランス・コタンタン半島に
上陸します。

世に言うノルマンディー上陸作戦です。

この作戦により連合軍が北西ヨーロッパ
へ侵攻し、ドイツ占領下のパリを
解放することに成功します。

ビリーの部隊はイングランドに
駐留しながら当作戦に参加。

ドイツ軍を相手に爆撃機を支援する
任務を果たしていきました。

彼はこの作戦中に2つの勲章を
贈られるなど活躍します。

作戦中もビリーとペギーは手紙の
やり取りをしていましたが、ビリーは
どのような任務についているかに
ついては話してくれなかったのだ
そうです。

戦時中、スパイも暗躍していましたので
手紙は必ず検閲されていたということも
あったのでしょうね。

そうして任務をこなし、1944年7月に
「もうすぐ家に帰れるだろう」
という手紙がペギーに届きます。

結婚後の新婚生活はわずか6週間。

夫の帰りはさぞ待ち遠しかった
でしょうね。

同年7月8日付けの手紙には
帰還するための船が負傷者を
優先しているため、乗船を
待たされているとありました。

ペギーはこのときビリーが帰還するのに
単純に手間取っているだけだと思って
いました。

しかし7月下旬、一通の電報が
ペギーの元に届きます。

そこには7月7日にビリーが行方不明に
なったと書かれていました。

ペギーは8日付けの手紙を受け取って
いますので、明らかに矛盾して
いますよね。

すると後日、先に送られた電報は
誤りであり、行方不明ではない
とする電報が再び届きます。

さらにその後、連合軍の司令部から
届いた知らせは「ビリーはすでに
米国へ帰国した」というものでした。

もちろんペギーの元にビリーが戻って
きたという事実はありません。

もう完全に情報が錯綜していますね。

その後、ビリーの消息についての情報は
途絶え、ペギーは国際赤十字に
助けを求めます。

負傷してどこかの病院に入院している
かもしれないと考えたわけですね。

しかし、期待した情報は得られず、
さらなる捜索を依頼しようとしたところ
経費がかかりすぎるとの理由で断られて
しまいます。

ビリーの消息についての手がかりは
その後一切なく、月日は流れて
いきました。

60年後の手がかり

1980年代にビリーのご両親が亡くなり
ますが、最期まで息子の生存は諦めて
いなかったのだそうです。

これも親心でしょうね。

すでに60年が経過したころ、ビリーの
従兄弟にあたるアルトンがビリーの
消息についての調査を始めます。

彼はビリーとは面識がなかったものの
その半生についての話を聞き、興味を
抱いたのでした。

アルトンが調べてみると米国人の
パイロットの何人かがフランスに
埋葬されていたという事実を
突き止めます。

60年にして時が再び動き出した
という感じですね。

これに関して陸軍の所持している過去の
ファイルが閲覧できることも分かり
ますが、じつはアルトンの前にこの
ファイルを調査した人物がいました。

それはフランス人のバレリー・ケネル
という女性でした。

彼女はフランス解放60周年の式典を
主催する小さな町の委員の一人でした。

彼女は町の近くの森に墜落した飛行機の
パイロットについての情報を追って
いました。

アルトンが調査を始めたまさに
このタイミングで別の国で調査を
始めた女性がいたとは、これぞ
神のお導きかもしれませんね。

アルトンはペギーにフランスにいる
ケネルの連絡先を教え、ペギーは
彼女にあてて手紙を送りました。

そうして彼女たちは連絡を取り合う
ようになり、ビリーについての真実が
明らかになります。

明かされた真実

1944年7月17日19時ごろ、パリの
北西140キロほどに位置する小さな町
の外れの森に一機の飛行機が墜落
しました。

乗っていたパイロットは死亡。

ドイツ軍により個人を特定できる
証拠品は抹消されていましたが、
唯一、指輪が残っておりそこには
“Vernon HS 1941”
と刻まれていました。

これはまさにペギーとビリーの高校の
卒業記念リングのあの結婚指輪でした。

彼の遺体は町の人々の手によって地元で
埋葬されたあと、ノルマンディー・
アメリカ人墓地に移されてそこに
埋葬されました。

町の人々はフランスのために戦った
ビリーに敬意を表して年に何度か
そのお墓に慰霊に訪れていたのだ
そうです。

この事実を知ったペギーは町の人々の
優しさに心からの感謝を述べています。

貫いた愛

ペギーはその後、何度かフランスに渡り
消息不明だった夫のお墓を訪れている
のだそうです。

その際、墜落現場にも足を運びました。

新婚早々に生き別れになって
60年以上たってようやく異国の地で
夫との再会を果たせたことに
なりますね。

彼女は再婚はせず、仕事をしながら
大学にも通い、テキサス州の大学の
図書館員として勤務していました。

6週間という短い新婚生活を経て
60年以上も夫を待ち続けていた
まさに純愛ですね。

ペギーはこうしてすべての真実が
明らかになったことを「終わり」
と表現したくないと述べています。

これは「救い」であると。

戦争によって翻弄された若い夫婦の
物語は60年を時を経て、再会を果たし
夫の魂と同時に妻の魂にも救いを
もたらしてくれたのでしょうね。

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